資本主義へのドーピング注入 2
買収のもっとも異論の余地なき危険は、今日資本主義が豊かな社会において達成した社会的均衡を再審に付するということです。
この次元の安定性は、主として中産階級に、つまり新しい《第3身分》にもとづいています。
この第3身分は、今や多数派であり、その嗜好や選好においても、また差異を求める要求においても、きわめて同質的なのです。
この果実の巨大な核と残りの果肉とのあいだの境界はたえずしだいにあいまいになってきました。
ただし、下流においては人種的特性が際立った住民(ヨーロッパでは移民が、また米国では黒人がそうです。
かれらは満足度のもっとも低い仕事に閉じ込められています)が、また上流においては異質な人口集団(しかし権力の錦の御旗は、苦よりも楽のためにこれらの集団を結集する力をもっています)が、中産階級からはっきりと隔てられているのです。
この社会的均衡は、たんに数の力に由来するだけではなく、許容しうるとみなされた不平等の度合いにも由来しています。
3つの敵対的集団のいずれもがこの不平等を望んでいるとしても、そうです。
ほぼ半世紀前から、この不平等の手直しがあらゆる社会政策のもっとも重要な目標となってきました。
この社会政策はさまざまな呼称(社会民主主義、人間の顔をした社会主義、見識のある保守主義)で呼ばれ、あらゆる先進諸社会に共通する政策となっています。
ところが、買収の増大は、そもそもたえず脆弱な状態にある社会的均衡を結局のところ脅かすことになります。